なんやかんやで、前回の投稿から一年もの歳月が経ってしまった。
あのとき四回生だった先輩方は卒業し、三回生だった僕は気づけば最終学年である。
時が経つのは驚くほど早い。
だから、彼が言った言葉も、まるで昨日のことのように、鮮明に僕の記憶にこびりついている。
――あれは去年の春だったか。僕はまるでテレビで見たワイキキビーチのような真っ白い浜辺に立っていた。そんな光景とは裏腹に冬から春へ移り変わる真っ只中の時期に吹く風はまだ少し肌寒く感じられた。それはそうだ。ここは伊豆の下田である。
僕は写真部の友人たちと春を迎えに来ていた。これは別に隠喩ではない。例年よりも少し長い冬に飽き飽きしていた僕らは、春が恋しくてたまらなくなっていたのである。そこで、僕らの方から春を迎えようとしたのだった。そのための手段は二つある。
一つ目は、僕らの住んでいる地方の気候を強制的に変えることだ。
しかし、それは難しい話である。ソヴィエト連邦科学アカデミーやアメリカ航空宇宙局ならばともかく、ただの苦学生である僕らには到底不可能だ。
二つ目は、僕ら自らが春に物理的に接近することだ。これは簡単だ。
ただ、南の方へ向かえばいいのである。
だから、僕らは下田まで南下したのである。
ただ、僕らの目論見は外れた。景色は常夏のそれだが、気温は冬である。日が出てるうちはまだいい。ひとたび太陽が陰れば、僕らはたちまち凍えて寝袋にこもる一方であった。
浜辺でたたずむ僕らは、想像以上に肌寒い風にさらされていた。少し雲から太陽が顔を出したタイミングで、海に入ると言い出した同期のTを見守るためだった。
まるでオホーツクの海のような凍てつく海水の中で、下着の上にどこか南国の民族衣装を羽織り、少し困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべながらポージングをするT。寝袋を体に巻き付けながらそんな光景を眺めていると、まるで、自分の産んだ卵と絡められた親子丼の親鳥のような心境になった。
「ねえ、私、綺麗に映ってる?」
朝日に照らされたTにそう問いかけられ、ただなんとなくカメラを構えていただけの僕は、あわててシャッターを切るのであった。
George.M








